第四十三章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

 第四十三章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

道を学ぶ者は、「強梁」(第四十二章)の戒めを充分に知らなければならない。天下の道は「柔」を用いるよりも妙なるものはないのである。つまり堅いものは折れやすく、柔かなものは折れることないので常に存している。また至柔は至堅を含んでもいる。それは水が石を穿つことでも知ることができるであろう。つまり柔は毀たれることがないわけである。有と有であれば、互いに干渉しあうであろう。しかし至無をして至有に入るのであれば、それは無の中に有を認めるもので、気という「無」の中に「有」としての体が存しているようなもので、ここに気は全身を巡ることになる。つまり「無」は「有」の中を自在に動けることを知ることになるのである。そうであるから無為であっても、為すことのないものは無いのであり、これが「至理」なのである。同様に不言(無)にして自ずから教(有)えるということもあり得るのであり、無為(無)にして功(有)が自ずから成ることになるのである。そうであるから天下において「有」はどうしてこのような「無」の働きに及ぶことができるであろうか。


〔柔の中には剛を含めることができる。無の中には有を含めることができる。こうした柔構造の優位さを老子は教えている。〕


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)