第四十一三章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕
第四十一三章
【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕
天下の至柔は、天下の至剛を馳騁(チテイ)する。
〔どのような場合であっても「柔」に考えが固定されることがなければ、それはつまりは「剛」として自在に使うことができるのである。柔の中には剛へと転換する要素が含まれている〕
「馳騁」とは、(走らせるの意味があるがここでは)使うということである。
無有は無間に入る。
〔無と有とはかけ離れているようであるが、実は密接な関係にある。無も有も容易に転換させることが可能なのである〕
「無有」「無形」「無間」とは縫い目が無いということである。
吾はこれ無為の有益なるを知る。不言の教、無為の益は、天下これに及ぶもの希れなり。
〔私はこうした転換が無為によって生じることを知っている。それは無の中に剛を見い出せば良いだけなのであり、何ら無に手を加える必要はない。教えにおいても語られないところを考えることでその教えは無限な展開が可能となる。このように無為であることで、それ自体が潜在的に持っているものを見出して、使うことが可能となるのであり、これこそが最も重要なのである〕