道徳武芸研究 御信用の手は合気上げである〜矛盾概念としての「合気」から〜(5)

 道徳武芸研究 御信用の手は合気上げである〜矛盾概念としての「合気」から〜(5)

ところで合気道の「矛盾」がどこから来ているか、というとこれは既に触れたように「やわら」の歴史そのものに淵源していることがひとつにはある。私見によればこうした矛盾は本来、大東流には存していなかったのではないかとも考えている。それは柔術の歴史からして大東流合気柔術という名称が不自然であることがある。一般的に流派名であれば大東流柔術とするべきであるが、大東絵流では柔術の上に合気柔術があるとする。これは先に述べたように「合気」の技法(取り口)が加えられるだけであるので、柔術の中の特殊な工夫という範囲に留まっていて、あえて合気柔術というカテゴリーを設けるまでもない。大東流では柔術を「剛法」、合気柔術を「柔法」としてイメージされることもあるようであるが、合気柔術となるとこれも述べて来た如くに「柔法」としての合気と、「剛法」としての合気が共に存することになり、ここに矛盾が生じてしまう。ところで大東流の伝書を見ると最後には一様に、あらゆる大東流の技法が「御信用の手」であると記されている。御信用の手がどのようなものであるのかについては既に述べたような説があるが、私はこれは「合気上げ」のことではないかと思っている。


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