道徳武芸研究 御信用の手は合気上げである〜矛盾概念としての「合気」から〜(2)

 道徳武芸研究 御信用の手は合気上げである〜矛盾概念としての「合気」から〜(2)

合気道の「合気」に含まれる矛盾については先に述べたが、それは植芝盛平の黄金体化の神秘体験によって「解消」を得ることとなった。そうであるからもし「合気」の矛盾を解消しようとするのであれば、個々の修行者が等しく盛平と同じ神秘体験を経る必要があることになる。二代目を継いだ吉祥丸はこうした矛盾を生じさせないために、「合気」の理と技法との関係についてはあまり触れないようにして、それはあくまで開祖の個人的な信仰によるものと位置付け、合気道を生み出す過程で一定の影響を有したが、合気道として完成した技法においては必要のないものとした。そうであるから合気道を生み出す過程ではそういった「信仰」が関係する部分もあったが、完成された合気道はあくまで合気道で完結しているので、技法は技法として学び、理念は心得として知っておけば良いというくらいの扱いにしたのである。つまり合気道は「完成」されているのであるから、「なぜ合気を使った技がないのか」といった疑問は抱く必要がないこととなってしまったのである。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)