解題(下)

 解題(下)

中国では注釈がひじょうに重視されていて、『易経』などでも学術的な解説よりもむしろ政治家や経済人、芸術家などの独特な解釈が注目されるようである。ある時、台湾の公園で中年くらいのあまり風采の上がらない男がパンを持って腰掛けて、パンをかじり始めた。そしてパンツの後ろポケットから文庫本の『易経』を取り出して、読んでいる。その本はまさにボロボロといえるようなもので孔子の「韋編三絶」(孔子は何回も『易経』が三度もバラバラになってしまう程、読み込んだとされる)はかくなるものか、と思ったものである。台湾では他にももう一人こうして『易経』を読んでいる人と出会った。おそらく「易」で表される陰陽転換の考え方は中国社会の根底にあるものなのであろう。日本では聖書をこのように何代目として読む人を知っている。これと同様なものとならないかと思ったのか大倉山精神文化研究所では『神典』として『古事記』や『万葉集』『風土記』など古典を集めた聖書風の本を出したが、『聖書』のように読み込む人は居ないようである。日本には「易」や『聖書』に相当するような精神文化の基盤をなす本が編まれなかったということかもしれない。


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