第三十五章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

 第三十五章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

およそ万物は道によって生じている。そのため聖人は道と同化しているので、天下は自ずから聖人に帰することになる。万物が帰しても聖人は何物をも傷つけることはない。つまり、天下の人々は皆、泰平に安んじているわけである。楽人を用意して、食べ物を並べて、客を迎える。しかし客が帰ってしまうと宴を止めて、それに心を留めることもない。こうしたこだわりのない境地はまさに道によって導き出された言ではなかろうか。淡いのは無味の味である。見ることのできず、聞くことのできないものは、まさに古今にわたって存している。これを用いても尽きることはなく、心静か(恬澹)であり、無為であることが伺える。つまりこれこそが大いなる道のシンボル(大象)なのである。


〔社会には共同幻想が必要であるが、それに振り回されることはない。またあえて否定することもしない。自分が超然としているだけである〕


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