第五章 合気道奥義・山彦の道(9)

 第五章 合気道奥義・山彦の道(9)

時に合気道の間合いは、禅の言葉である「啐啄同時」をもって語られることがある。これは卵の中のひな鳥が生まれようとして卵の内側から殻を破ろうと突く(啐)と、親鳥も外から殻を突く(啄)、これが同時に行われて卵の硬い殻が破られる、ということである。こうした大きな転換が生じるのには、人の思い(思量)が介在したのでは不可能で、ただあるがままであれば良いとする教えである。もし、相手の行為に応じるのに「思量」が入れば、利害得失を考えてしまうことにもなろう。そうなるとその行為は自然なものではなくなり「機」を逸してしまう。そうなれば「啐」と「啄」とは「同時」に起こらず、殻が破れるという大転換(悟り)も生じないことになる。

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