第五章 合気道奥義・山彦の道(15)
第五章 合気道奥義・山彦の道(15)
あえて植芝盛平が「山彦の道」ということを言ったのは何故か。それは「逃げる」ことを主体とする合気道の本旨が忘れられることを直感的に懸念してのことではなかったであろうか。多くの合気道修業者は従来の武術と同じようなものとして合気道を捉えている。それはこうした合気道の特異な側面を盛平が宗教的な言辞をもってしか語り得なかったということも原因していよう。つま盛平の語った宗教的、神話的な部分こそが長く秘されて来た日本武術の「やわら」の核心部分であったのである。その継承が充分になされない合気道の歴史は誤謬の歴史であるといえるのかもしれない。