第五章 合気道奥義・山彦の道(12)

 第五章 合気道奥義・山彦の道(12)

「啐啄同時」が武術の理想的な間合いであるとして、それを実践しようとすると相打ちになるという理論的破綻を回避するために夕雲流では「相抜け」が考え出された。そうなると、例えば互いの拳は激突することがなくなる。ただこの場合、互いの拳は空を突くことになってしまい、「当たらなかった」のであるから客観的には攻防の場が成立していなかったことになってしまう。どうして啐啄同時」は武術において生じないのか。それは天機の働きは生成において働くのであり、相手を打とうとした時に天機は働かないからである。ひな鳥を誕生させるという行為において天機は働くが、相手を打とうと考えた途端、その人は天機から外れることになってしまう。この意味において「相抜け」は互いに相手を打とうという意思が無く、空を打つような場面でしか働かないことになる。

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