第五章 合気道奥義・山彦の道(11)
第五章 合気道奥義・山彦の道(11)
もし「啐啄同時」を実践して相打ちになってしまうのでは武術的には意味がない。中島敦の『名人伝』では弓の名人が互いに矢を放つと、矢の先端が共に当たって勝負がつかないとする。もしこうしたことを徒手で行うとすれば拳が最高の攻撃レベルで激突することになる。そうなれば当然、互いに傷つくことになる。天の働きは生成にあり、人の本来は和合にあるとするのであれば、こうした互いに自滅するようなことを「啐啄同時」のあるべき姿として考えることはできない。攻防の中にある互いが共に生きることのできるところに「啐啄同時」の間合いを用いた武術としての意義が生まれることになる。