第三章 「純粋武術」の発見(13)

 第三章 「純粋武術」の発見(13)

「護身」は自己保存欲求によるものでそれは本能であると考えられる。つまり「攻撃」は「護身」から派生したものと考えられるわけである。そうであるなら強いて「護身」ということではなく、「自然」な動きを得ればそれは自ずから「護身」の働きを持つのであり、そこには「攻撃」として展開されるものも含まれていることになる。ここに武術の「攻撃」と「護身」が矛盾することなくひとつのものとなる。純粋武術とはこうした人の生存本能によるものであり、「攻撃」や「護身」の一方に偏って技を習得しようとすると矛盾を抱えたシステムは崩壊に向かってしまう。それは、同時に心身のバランスを崩すことにもなるのである。「攻撃」も「護身」も超越した動きこそが「純粋武術」としての動きなのであり、それは日常生活に還元され、日常生活から敷衍され得るところのものである。

このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)