第三章 「純粋武術」の発見(10)

 第三章 「純粋武術」の発見(10)

近代社会にあって武術が学ぶ価値あるものであるためには、相手を殺傷する能力を身に着けるための方途ということだでけでは充分とは考えられなくなって来た。そこで更に護身的な部分がおおきく見直されることになり、これが攻撃と護身という矛盾をますます大きく認識させるようになる。そこで考えられたのが「動作の無意味化」である。拳を出すという動作は相手を打つという意味を持つが、これをゆっくりと出すのであれば、拳を伸ばすという行為だけが残ることになる。その行為が激しく行われれば「突き」という意味を持つことになる。

このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 如何に「合気」を練るべきか〜システム論の立場から〜

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(2)

道徳武芸研究 「簡易」と「簡化」の太極拳〜簡化太極拳の場合〜