第三章 「純粋武術」の発見(7)

 第三章 「純粋武術」の発見(7)

軍隊や警察では厳格な規則と統制が求められ、戦争をする国家では同様にそれが国民全体に強制されるのは「攻撃」ということがそうした強制を行わないと可能とはならない行為であるためであろう。つまり個々人がよく行動の意味を考えるようになると「攻撃」をすることはできなくなるわけである。それは警察など正当な理由があれば「攻撃」を正当化できる場合であっても、そうした職業に従事する人たちは精神的な抑圧が大きいとされる。それは「攻撃」が人間としての本質に反する行為であるからに他なるまい。そうであるなら「純粋武術」は攻撃ではなく護身にあることになり、それが「武道」が「武術の最終形態」であると考えられるようになったこととも関係しているであろう。

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