第三章 「純粋武術」の発見(5)
第三章 「純粋武術」の発見(5)
しかし、新陰流において攻撃と護身、殺人剣から活人剣への展開は結局は禅の境地である「無」にいたるものとするだけで、なんとなく技のとらわれから脱することで、ここに攻撃と護身とのプロセスとしての親和性が認識されて、攻撃と護身がひとつにつながるようなイメージが形成されつつあったに過ぎず、システムとして攻撃と護身は融合されることはなかった。それは近世以降は刀を使って斬りあいをするという攻撃部分の必然性が薄れたことと関係してもいよう。そのため攻撃と防御の矛盾が見えなくなったことと、新陰流そのものが熱心に修行される環境が失われつつあったこともあり追究は途中で止まった形になった。