第三章 「純粋武術」の発見(3)

 第三章 「純粋武術」の発見(3)

一部には競技試合における違和感の解消法として打撃だけではなく、投技や逆技を加える向きもあるが、問題はそうしたところにあるのではない。あるいは競技武術の違和感は武術の攻撃の極限である殺人にまで至らないで止めるところにある(実戦にはルールはない)と考える向きもある。しかし、それも違和感の本質ではあるまい。もし武術が相手を攻撃して制圧するだけのものであるなら、競技試合の「価値」は完全な評価とはいえなくても、本質的な欠陥を有するものとは見なされないはずである。しかし競技試合に拭いがたい「違和感」を覚えるのは競技試合には武術の根本システムである攻撃と護身の護身の部分が欠けているまさに根本的な問題があるために他ならない。

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