第一章 塩田剛三と金魚(19)

 第一 塩田剛三と金魚(19)

また塩田は植芝道場を訪ねた時に「やってみないか」と盛平に誘われ、「柔術の先生なら蹴りには対応できないであろう」と思って蹴っていったが簡単に投げられて、入門を決意したという。同様に盛平も出口王仁三郎と大陸に渡って、モンゴル人の兵隊を訓練する時、逆手技を使ったという。モンゴル人の兵隊は蒙古相撲などで鍛えていた人が多くとても容易に投げたりすることはできない。そこで相手の経験のない逆手を用いてその優位性を示したわけである。更にいうなら太極拳の陳微明は楊澄甫のところに初めて行って推手をした時に蹴りを出したところ古参の弟子は皆それを避けることができなかったが澄甫のみはよくかわしたと述べている。一般的に推手では蹴りは用いないが、それを禁じてもいない。推手が「推手」の稽古だけで完結して太極拳全般に及んでいないために突然の蹴りに対応できないわけである。それは盛平も同様で優れた「武道勘」を持っている故なのである。そうしたところを塩田も感じて盛平へ入門することにしたと思われる。

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