第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(9)

 第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(9)

これは武術に限ったことではないが、何かを正確に伝えようとするなら、それは容易なことではない。ましてや言語を介するのみで、複雑な除法や特異な体験の全てを伝えることは、ほぼ不可能であろう。しかし、一方では言語を介することがなければ、伝えようとすることの一端をも知らせることができなくなってしまう。日本の武術では大体において伝える努力を放棄して「口伝有り」などと記すことが多かった。または「金翅鳥王剣」(小野派一刀流)などと仏典にある伝説の鳥を技法名にしていたりすることもある。これも技術的にはこの名称と実際の技とはまったくといって良いほど関係がない。あるいは「斬釘截鉄(ざんていせってつ)」(新陰流)のような禅語が用いられることもある。ちなみに「斬釘截鉄」は煩悩などを断ち切ることをいう。とにかく相手の攻撃を断ち切るという意味があるのであろう。しかし、これも実際の技法と深いレベルで共鳴しているとはとてもいえない。

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