第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(8)

 第二章 感覚の伝授としての八卦拳・変架子と八卦掌(8)

合気道は植芝盛平が「我即宇宙」「万有愛護」を感得して開いたとされる。そうであるから合気道では「合気」を「宇宙と一体となること」などと説くのである。また植芝盛平は合気道で技を展開する上でのこうした「感覚」を伝えるために神道的な言葉を用いていた。これは「合気」が日本人が本来持っている感覚であるとする考えであったともみられるかもしれない。こうしたことから合気会では外国人の修行者に配慮をして道場における神道的なものを取り除いた。しかし盛平の考える「神道」のベースには日本神道こそが世界の思想の根源を最もよく残したものとする国学以来の考え方があったように思われる。そうでなければ「万有愛護」と民族宗教である神道とは相いれないものとなろう。また盛平の感得した「我即宇宙」といった考え方は神道本来のものではない。神道というよりむしろインド的な梵我一如に近いものであろう。おもしろいことに盛平がこれを感得した時、自身の体が黄金体と化したとしている。黄金体は仏像と同じである。かつて植芝吉祥丸はカッパブックスの『合気道入門』で黄金体化の体験がウパニシャッドに記されていることに酷似していることを指摘していた。これも盛平の体験が神道ではなく梵我一如のインドのそれに等しいものであることを暗示していよう。ただ大宇宙と小宇宙(自分)との一体化や光の体験はあらゆる神秘体験に共通するものでもある。その意味で盛平の体験は民族宗教としての神道の枠組みを超えた普遍的な境地に入っていたとすることができよう。

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