外伝3新著『植芝盛平と中世神道』について(7)

 外伝3新著『植芝盛平と中世神道』について(7)

中世神道の「霊視」者たちは、その「霊視」から得た「情報」を『古事記』や『日本書紀』の神話をもって語った。それは古代の神話そのものが太古の「霊視」者によって得られた「情報」によっていたからである。太古の「霊視」者はおそらくは祭祀によって霊的な世界を覗くことができたのであろう。しかし中世あたりになると特定の瞑想法を用いなければ、深い霊的な世界に入ることができなくなっていた。植芝盛平は先天的に霊視ができたようであるが、それは出口王仁三郎などとの出会いを通してさらに磨かれて行ったのである。太古から中世、現代の「霊視」者たちの見た世界には共通性があった。それは「日本文化」の深層にあるもので、これを国学では古道と称した。鈴乃屋の主人(うし)本居宣長は鈴の音によって瞑想状態に入って太古の「霊視」者の観た世界を知ろうとしたし、平田篤胤は久延彦(くえびこ)の伝とする瞑想法を考案しようとしていた。久延彦については「歩くことはないが、すべてを知っている」と神話にある。これはまさに瞑想そのものではなかろうか。

このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)