第一章 塩田剛三と金魚(14)

 第一 塩田剛三と金魚(14)

合気道において神道はあいまいな「位置」にあったが、戦後に神道的なものが否定的に受け取られるようになると植芝盛平は次第に神道的な言い方から「心身統一」などの方にシフトして行くような傾向も見せていた。合気道の根本に「心身統一」のあることを強調したのが藤平光一である。また塩田剛三は本来、神道には興味を持っておらず内弟子時代の神拝もただその場に居ただけというくらいであったらしいこともあって、合気道のベースにあるものを「臂力」としてとらえて行くことになる。「心身統一」は太極拳でいうならば上下相随であり、全力法でもある。一方、「臂力」は通臂(背)功ということになろう。盛平が呼吸力として曖昧に提示していたことが多少なりとも具体的に提示されることとなったわけである。植芝盛平は「合気道は当身な七分」とも教えていたが、それを実現しようとするのであれば「心身統一」や「臂力」の養成がなければとてもできるものではない。こ合気道の武術的な展開の七割が当身であるとする教えは、一般的な合気道の稽古からすれば奇異な感じを受けることであろう。実際のところ通常の稽古で当身の練習がなされることはほぼ無いからである。

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