第九十九話 中国武術文献考(16)

 第九十九話 中国武術文献考(16)

また『太気拳』からは「立禅」という語が一般化するようになった。「立禅」という言い方そのものは中国の古い文献や江戸時代に儒学者の書いたものの中にも見ることができるが、この言葉が馬歩トウ功のイメージと共に一般化したのは沢井の著書からである。ちなみに神仙道の古典『性命圭旨』ではただ立っているだけの姿を立禅としている。坐禅に対する立禅ということであれば、手は坐禅の形のままで立つことが予想されるが、沢井が「立禅」として示したのは中国武術では馬歩(トウ功)と称されてきたものである。『太気拳』はある種、日本人の琴線に触れるところがあったのであろう。ただ「立禅」と「這(はい)」だけをやれば良いというのは日本人好みといえるのかもしれない。後に沢井の弟子たちは大陸の意拳家とも交流をしていろいろな「形」を導入する者も出たが、そうなると興味が半減されて「普通の中国武術」という感じになってしまうのか実際に太気拳が大きな広がりを持つには至っていない。ちなみに『性命圭無旨』では禅宗で言う「白隠流」で手を組んでいるようである(衣服に隠れて明確ではない)。これは神仙道では一般的に用いられる手の組み方である。臨済禅は白隠から一変したとされるが、白隠は白幽子から神仙道の伝授を受けたようであるから、臨済禅は白隠からより神仙道化したとすることができるのかもしれない。

このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)