第一章 塩田剛三と金魚(13)

 第一 塩田剛三と金魚(13)

近世あたりに確立されつつあった坐禅の「静功」としての位置付けは「外功」としての技の修練と合わせてかなり理想的な体系であり好ましいものであったと考えるが、「内功」としての坐禅はあやふやな「位置」にあり、近代以降に「国家神道」政策がとられるようになるとこれもなんとなく精神的な部分の鍛錬として神道が禅を代替し得るものと見なされ、「鎮魂」や「禊」などのいろいろな行法が合気道では取り入れられた。伝説上の始めの天皇が「神武」であることから戦中あたりは日本の武道は「神武」であるとして神道と密接なかかわりがあるように説かれることもあった(実際の「神武」の「神」が神のように偉大であるという意味であって神道とは関係はない)。

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