第一章 塩田剛三と金魚(9)

 第一 塩田剛三と金魚(9)

盛平は大東流の中に認めたと考えられる草薙剣に象徴されるような封じられた力とはどのようなものであったのであろうか。合気道における「武術」的な部分は大東流で代表される。盛平自身は大東流をかなり深いところまで学んでいたはずであるが合気道で採られているのは比較的初歩の技のみである。これについては大東流が広く知られるようになると少なからず合気道を稽古している人たちの注意をひくこととなった。また大東流サイドからは「合気道は大東流の初心の手しかない」などと言われることもあった。しかし、盛平が大東流の比較的簡単な技をのみを合気道に採ったのは、ひとつには合気道を単なる攻防の武術ではなく心身を浄化するためのエクササイズとして確立しようとしたこと、もうひとつは複雑な逆手技は実戦に適さないと考えていたこともあるようである。そうしたこともあって盛平は合気道は実戦にあっては「当身が七分」としていたのである。

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