第一章 塩田剛三と金魚(8)

 第一 塩田剛三と金魚(8)

植芝盛平は合気道を草薙剣の発動であるとしていた。草薙剣は熱田神宮に封印された。その働きが再び合気道として現われ出たのが合気道であると考えていた。こうした封じられた「霊的な力」を開放することは大本教で見られる考え方である。出口王仁三郎は大本教には「型」が出ると教えていた。根源的、原理的なパターンが象徴的に大本教において現れるというのである。「封じられた霊的な力」が大本教において開放されたのであれば、それは武術界においても当然生じなければならない。出雲にあった草薙剣は高天原に封じられたと神話にある。しかし後に倭建(やまとたける)の頃になるとなぜか熱田神宮に封じられていた。これは大和朝廷が出雲から草薙剣を奪って熱田神宮に封じたことを「高天原」へ移したとしていたためである。その力は戦争に日本が負けることで大和朝廷を受け継ぐ天皇家の封印が解かれることになった。そこに草薙剣の発動としての合気道が自ずから世に出て来たのであり、盛平はその働きを助けたのみと自身も考えていたので自らの働きを猿田彦としていたわけである。

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