第一章 塩田剛三と金魚(7)

 第一 塩田剛三と金魚(7)

このように中国において禅は武術とは直接の関係を持つことはなかった。一方で内功としてのトウ功は太古の導引からの伝統を引き継ぐものであった。等しく儒教の静坐も同様である。トウ功のトウとは「杙(くい)」のことである。杙が立っているように動かないでいるのがトウ功である。静坐もこれと同じくただ動かないで坐ることを専らとする。実は禅宗の坐禅もこのトウ功の影響を受けて中国化した仏教瞑想なのであるから、武術のトウ功と坐禅は古代の導引を受け継いで共に近しい関係にあるということになる。おそらく太古の導引においては瞑想も運動も未分化であり融合していたのではなかろうか。それが後代に瞑想と運動に分かれ、瞑想は仏教に入って坐禅を生み、儒教に入って静坐となり、道教では心斎、坐忘などとなった。一方、運動の部分は八段錦や五禽戯などの健康法となり、また武術として展開をして行ったものと思われる。やや武術的な方面に偏っているが太極拳などは古代の導引に近い瞑想的な要素を多分に有するものである。

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