第一章 塩田剛三と金魚(5)

 第一 塩田剛三と金魚(5)

つまり少林寺においては拳禅一如のような考え方は見られないのである。中国では禅や武術に先行するものとして導引があった。華佗(3世紀)の五禽戯は有名であるし、古くは馬王堆古墓(紀元前2世紀)の導引図もある。導引は不老長寿を目的とした運動であるが、そこには心と体の養生という考え方があったと思われ、すでにこうした段階で後に見られる内功、外功的なものがあったと見なすことも可能なのではなかろうか。

この導引という見地から中国武術の流れを見るならば、古代には内的なものと外的なものが融合していた導引があったのであるが、インド方面から仏教を通して禅が入ってくると、内的な方向でのエクササイズは禅の中に吸収、融合され仏教、儒教、道教でそれぞれで瞑想法が生み出された。また、外的なエクササイズは体操や武術として発展して行ったとすることができるのではなかろうか。

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