第一章 塩田剛三と金魚(4)

 第一 塩田剛三と金魚(4)

しかし、武道において禅が残された技を通して流祖の体験したことを再体験しようとするものとして、そのエクササイズの方法が具体的に構築、明示されることはなかった。教授階梯としては華道でも茶道でももっぱら「術」のみが授けられた。こうなると「禅」の実質的な意義は薄いものとなってしまう。一方、中国では武術の発祥地として少林寺が語られる。少林寺は達磨が禅を伝えた寺であるが、意外にも禅と武術の関連をいわれることは皆無と言って良い。少林寺の武術は武僧とされる人たちが専ら修したとされ、高度な禅の修行を行う僧侶とは別な存在として扱われている。近代になって達磨が伝えたものの中に禅(瞑想)の他に武術の基礎となるようなものが含まれていたとする「伝説」が語られるようになったが、そこでもやはり武術は禅とは別のものとされていた。

このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(3)

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(2)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)