第九十九話 中国武術文献考(13)

 第九十九話 中国武術文献考(13)

外丹功はかつて台湾で大流行していたことがあり、わたしも台北の高速道路の近くの「道場」(ビルの一室)に毎週通っていた。張志通は秘伝書である「父冊」と「母冊」を授けられ困ったことがあればこれを開くように言われていたという。台湾では気候が合わないで体調を崩したために「父冊」「母冊」を紐解いて研究をした結果、万民のための健康体操として外丹功を編んだという。ちなみに「父冊」「母冊」は洪水で流されてしまったとする。外丹功のことを初めて聞いたのは瞑想法の指導をしていた山田孝雄のところで開かれていたシルバマインドコントロールのセミナーにおいてであった。この時、偶然にも松田隆智が受講していて、雑談の時に台湾在住のセミナー受講者に「今、台湾では何が流行ってますか」と聞いたところ「外丹功です」との答えたのが印象的であった。松田とは他にも西荻窪のホビット村で開かれたおおえまさのりの『チベットの死者の書』の出版記念会でも出会ったことがある。この時には途中から中沢新一も顔を出して、ワインをかなり飲んで酔っていると話していた。この頃は精神世界ブームで、イギリスに渡ってチベット仏教を教えていたチョギアム・ツルンパなどが酔っ払って法話をしたといったことが「悟っている」として好んで話題にされたりしていた。ツルンパも後にチベットの高僧が来た時にはまったくまじめな態度でそれを見た西洋人の信奉者は失望したとも聞いたことがある。松田はこの頃「ザ・メデイテーション」という雑誌でラダックで瞑想をしているとか太極拳を紹介したりしていた。アメリカでは中国武術はこうした「精神世界」の中の一部としてヨーガやトウフ(豆腐)、マクロビオティック(玄米食)などと共に知られるようになって行ったが、日本では床運動的な大陸系の「ウーシュ(武術)」と、それに対して実戦を標榜するマニアックな台湾系が対立するような形で徐々に広まって行った。

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