第一章 塩田剛三と金魚(1)

 両儀老人武学論集

第一 塩田剛三と金魚(1)

植芝盛平の開いた合気道には三つの側面があった。それは武術としての側面と、神秘思想としての側面、それに健康法であった。戦前は武術(大東流)から思想(合気道)へとする展開を見せていたが、戦後は健康法としての側面を強調することもあり「合気道は大なる健康法である」というようなことも言っている。こうした経緯が示しているのは武術的なものが大東流から離脱する時に捨てられ、思想的(神道的)なものは戦後にそうしたものが否定される社会風潮のあることを受けて、「武産合気」としての新たな道が模索される過程で次第に声が小さくなって健康法なるものも示されるようになったと解することができよう。これは盛平自身が身体の不調を長きにわたって抱えていたことや二木謙三、西勝造や桜沢如一などと「健康法」を提唱する人たちと関係があったことなどが影響して健康法というところに思い至ったのかもしれない。ただこうした側面は大きく発展させられることはなかく、合気道を習いに来る「弟子」たちはあくまで武術としての合気道を求めていた。

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