第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(20)

 第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(20)

実際のところ正面打ち一か条において膝の上に手を置いた状態で、頭部を打ってくる相手の手刀を受けようとしても間に合わない。受けては手刀が動き出した時点で既に上段に近いところに手を置いていなければならない。こうしたことからすれば、正面打ち一か条の間合いは相手が打ってくるのを受ける形にはなっているが、それより前にこちらは「打たん」とする気勢に反応していなければならないことをこれは示しているのではなかろうか。単換掌でいうなら「髄」(意識)のレベルとなる凌空勁の間合いを正面打ちは形として示しているように思われる。思うに盛平が気に入らないという感じを受けたのは多くの弟子たちが、単なる「受け」から合気道の技を始めているところにあったのではないであろうか。ただ相手の攻撃を待つのではなく相手の意識を導いて特定の動きを導く、そうしたものとして合気道は稽古されなければならないと盛平は考えていたのではないであろうか。

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