道竅談 李涵虚(150)第十七章 神、気、精を論ずる

 道竅談 李涵虚(150)第十七章 神、気、精を論ずる

西派では神、気、精についていろいろと煩雑なことが述べられているが、修行の根本となるのはただ「動かないでいる」ということに尽きる。覚醒した状態で「動かないでいる」ことは日常生活ではあり得ない。これを実践することで普通の生活では得ることのできない知見が得られることを経験的に知って静坐・坐忘・心斎という修行法が確立された。こうした「静」の状態で心身に生じるいろいろな変化を説明しようとして神や気、精などの概念を立てているのであるが、禅宗や儒教ではそうしたものを排してしまった。神仙道でそうした「文化的遺産」をなるべく取り入れようとしたのが西派である。西派で組み立てようとしているのは神仙道を修行する過程で派生したいろいろな「思考の断片」「感覚の影」である。そうしたものを細かに見ることは時に修行者をして「迷路」に導くことになるが、尽きない興味をおこさせてくれるものでもある。

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