道竅談 李涵虚(149)第十七章 神、気、精を論ずる

 道竅談 李涵虚(149)第十七章 神、気、精を論ずる

後には「陰欲」を肯定する派は「栽接派」、否定する派は「清浄派」などと称され、あたかも「栽接派」が房中術なる性技巧を使って神仙道の最終的な悟りを得ようとするものであるかの如くの誤解が生まれた。主に南方で展開したとされる栽接派は本来が健康法から発した神仙道の形を留めるもので、性的なものを否定しないというに過ぎない。それに対して北方で主に行われたとされる清浄派では仏教の影響を受けて平穏な瞑想をするには性的なものを避けた方が良いと教えている。ただこれは無為自然を規範とする神仙道からすれば歪(いびつ)な形ではある。性的なものは積極的に肯定されるべきでも否定されるべきでもない。他の事象と同じく過度にとらわれなければそれで良いのである。

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