第九十八話 絶招研究 太極拳篇(4)

 第九十八話 絶招研究 太極拳篇(4)

さて太極拳の「絶招」であるが、鄭曼青は「太極拳は無招が万招に勝つものである」と教えていた。つまり「絶招」がないのが太極拳であるというわけであるが、ここでの「無招」とはどのような意味を持つのであろうか。単純に考えると「無になることであらゆる技を制することができる」といった精神論に行き着くことになるが、実際はそうではない。いうならば「無招」は「万招」を含むのであり、それを越えるたとえば「億招」として展開し得るるものとされているのである。分かりやすくいうなら「無招」と「万招」では「招」のレベルが同じではない。「無招」は先天であり、「万招」は後天に属している。これは太極拳でいうなら「無招」は無極で、「万招は太極ということになる。王宗岳は「動であれば陰と陽に分かれて太極となり、静であれば無極となる」としている。この「無極」としての「静」は動を含む「至静」であることはいうまでもあるまい。陰陽の動きとは「防御」と「攻撃」であり、また「突き蹴り」と「投げ逆」あるいは「精神」と「肉体」などと解することもできよう。これらがひとつのところ(無極)から生み出されるのが太極拳お「絶招」なのである。

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