九十八話 絶招研究 太極拳篇(1)

 九十八話 絶招研究 太極拳篇(1)

これまで絶招研究では形意拳の半歩崩拳、八卦掌の単換掌を取り上げて来たが、要するに「絶招」といっても基本は空手の競技組手などでもいちばん多用される「中段突き」になってしまうのである。つまり最も有効な方法はある意味で最も平凡、一般的な方法でもあるわけである。そうした大原則を離れて奇異な技を行ってもなかなか成功させることは難しい。最も有効な、最も一般的な動き、つまり合理的な動きから「絶招」も逸脱することはできないのである。しかし、そこに工夫が加わることで、これが「絶招」となり得る。形意拳の半歩意拳であれば「半歩」の歩法を工夫することで、「半歩」という特殊な間合いを制御することが可能となれば相手の意表をつくことができる。また八卦掌では斜めの入身の工夫が単換掌にあった。ただ、こうした「細部」の工夫は基本的な練習を重ねてスピードやパワーをつければ、こららの「絶招」を使わなくても相手を打ち負かすことも不可能ではない。こうしたところに伝統的な武術の意義が競技試合の視点からは問われることになる。「秘伝を知らなくて試合に勝てる」というわけである。しかし、細部を極めることは永遠に技のレベルの向上を得ることにつながっている。若いベストな状態の時にのみ行うことのできる動きに近いレベルを何時でも行うことができるようになるわけである。競技からは引退があるが、実戦には引退はない。「絶招」が提起しているのは武術というものが教える生き方であると言っても良いであろう。これは後に詳細に述べるが絶招なき太極拳では、すべての技が等しく「絶招」であり、それは全てが等しいと教える荘子の「万物斉同(ばんぶつせいどう)」と同じ考え方でもあるのである。

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