第九十五話 立禅と馬歩トウ功(25)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(25)

現代の「立禅」はいうならば太古の混元式の復活である。これはさらに手を下げることでよりその意図は明確になると思われる。また歩幅も馬歩のように肩幅にこだわる必要はない。「立禅」が今日のように普遍的なものとしてとらえられるのは、それが現代人の無意識に存するイメージと合致するためと考えられる。数年前からマインドフルネスが注目されている。これは瞑想により心がフルネス(豊か)になるということであるが、禅などの伝統的な瞑想法の伝承者の中にはマインドフルネスを禅などを簡単にしたものと見なす傾向がある。しかし、そうではない。マインドフルネスの傾向は宗教にとらわれた禅などの瞑想から宗教的なものを排してより自由なものにしているのである。そしてこれからはマインドだけではなく、ボディもフルネスでなければならないであろう。マインド、ボディのフルネスの方法として「立禅」はおおきな可能性と示唆を持つものと考えられるのである。これまで宗教や武術といった中でしかできなかった心身の活性化は「立禅」によって可能となるのである。

 

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