第九十五話 立禅と馬歩トウ功(24)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(24)

ただ合気道においても相手を制するという攻撃性をおおきく除去することはできなかった。植芝盛平は弟子たちが坐り技一か条を練習していれば機嫌が良かったという。これは「呼吸法」(坐り技合気上げ)に合気道の原点があることを直感していたためと思われる。それでも「呼吸法」だけをやっていれば良いとまでは言い切れなかったのは王キョウ斎も同様であろう。おそらくそこまで行ってしまうと弟子が居なくなり、伝承が絶えてしまったことであろう。形意拳において混元式と三才式だけを伝えた流れは絶えてしまった。そして五行拳や十二形拳を持つものが一種の矛盾をはらみながら現代まで続いて来ていると考えられる。こうしたあたりの門派の「構造」をよく考えないと、道芸の「武術」はただの武芸。武術に堕してしまうことになる。

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