第九十五話 立禅と馬歩トウ功(23)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(23)

およそ武術の門派が表れるのは戦いの時代の後であるし、競技試合をしている人たちは一様に「形(套路)は試合には使えない」という。ランニングをしてスタミナをつけてサンドバッグを打っていた方が良いとするのである。これは経験から出た正直な言葉である。套路を学ぶのは攻防をコントロールするためであり、ただ相手を打つだけであるならそうしたものは必要がない。軍隊や警察で套路が熱心に練習、研究されないのと同じである。武術はあくまで「護身」にあるのである。そうであるから競技試合を取り入れることは本来あるべき武術の根本を崩すことになる。武術は攻防そのものが生じないようにするのが理想であるからである。道芸の武術は「護身」が基本であり相手の攻撃を受け流す練習とすることが適当といえる。

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