道竅談 李涵虚(139)第十六章 先天とは何か

 道竅談 李涵虚(139)第十六章 先天とは何か

あるいは「何が人を生み、物を生むのか」という疑問に、私は「それは先天から生まれる。先天は天地の主であって、一であり三であるもの。三であって一であるものである」と答えるであろう。この「一」は「一旡」であり、「三」は「精、気、神」である。いろいろなものが生じても、それらはすべて「三」「一」を離れることはない。「三」の中の「精」をいうのであれば、これは「二五(陰陽)の精」である。「三」の中の「気」をいうのであれば、これは「陰陽の気」である。「三」の中の「神」をいうのであれば、これは「虚空の神」である。「虚空の神」は、つまりは「陰陽の気」と交流をしている。「二五の精」は、「陰陽の気」と共にあって生成をしている。

〈補注〉「一」は「二」を生み、「二」は「三」を生んで「三」は万物を生むとするのは老子の教えである。ここではその中の「一」と「三」とを「一旡」と「精、気、神」としている。

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