道竅談 李涵虚(136)第十六章 先天とは何か

 道竅談 李涵虚(136)第十六章 先天とは何か

〈本文〉

先天は後天を超越した存在である。先天は初めであり、始まりでもある。本であり、元でもある。また一気を尊んでの言い方でもある。そして先天の気には三つの側面があり、また先天の名称には二つの意味があるとされている。二つの意味とは何か。天より先に出現していることが一つである。そして天より先に存在しているというのが二つ目である。天より先に出現しているとは、天より更に先にあったということである。天が生じ、地が生じる前が先天ということになる。この気は鴻濛(天地の元気)の全体を包んでおり、その初めは「太無」と称せられる。天地がいまだ分かれていない時より先にその気はあったのである。この気が天より先に出てきたのである。そうであるから「先天」と称せられる。これが一つの側面である。

〈補注〉ここでは先天に、後天よりも「先に生じていた」「先に存在していた」の二つの意味のあることが示されている。そして三つの側面の一つの「太無」と称されることが明かされる。「太無」は「虚」と同じである。

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