道竅談 李涵虚(131)第十五章 神気と性命

 道竅談 李涵虚(131)第十五章 神気と性命

天にあっては、理は気に従って現れる。道にあっては、気は理に従って現れる。理が気に従って現れるので気が重視されることになる。この気はイン蘊化醇(いんうんかじゅん。天地の気が交わって純粋であること。インは糸へんに因の字)の気である。人がこの気を得れば、体を生じさせることができる。その後に理が働くようになる。そうであるからこの気は重視されるのである。

〈補注〉「天」にあってはとあるのは「後天」である。「道」にあってはとあるのは「先天」である。後天の世界では先にも触れられたように「理」があって「気」が働く。一方、「先天」では「気」があって「理」が動くとされる。後天において「理」を用いれば「気」が働くのは本来、天地の根源に「気」が働いているからに他ならない。「元始真一の気」は「理」を生むものでもあるし、「理」から生まれるものでもある。つまり先天と後天とは「気」でつながることになる。「気」とは働きであり、エネルギーのことである。これを自然の中から導き出すには天地の「理」を知らなければならない。この「理」を武術において示しているのが套路である。

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