第九十五話 立禅と馬歩トウ功(17)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(17)

中国の武術界では二十世紀の始めあたりから「形の根本にあるもの」があるのではないかとする考え方が広まるようになる。姜容樵は当初そうした話を聞いたが信じることはできなかったとするが、後には套路には天然の内功が含まれていると考えるようになった、と述べている。これは先天の内功でもあろう。先天の内功があって、それが開かれた時に形をなしたのが套路であると考えるわけである。こうしたことを言いだしたのは孫禄堂のようであるが、孫は先天後天の合一ということをよく述べていた。これは王キョウ斎の混元式が全ての根本であるとする考えと同じである。孫も王も共に形意拳を中心に拳を練って来ているので、こうした考え方は形意拳に由来するものと見なすことができるであろう。

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