宋常星『太上道徳経講義』(12ー6)

 宋常星『太上道徳経講義』(12ー6)

得難きの貨(たから)は人をして行(おこない)を妨げしむ。

「得難きの貨」とは珍しい宝物のことである。「妨」とは傷つけるということである。自分を傷つけるのを「妨」といっている。また他人を傷つけるのも「妨」ということができる。この世のあらゆる珍しい宝物について、いろいろと考えてみるのに、すべてがこれは「得難きの貨」ということになろう。そうしたものを得ようと貪るのは正しい行為ではない(不義)し、そうしたものを得ようとするのも好ましい行為ではない(不善)。災いや失敗はこうしたところから生まれる。盗みを覚えるのはこうしたところからである。或いは国家に害を及ぼし、或いは自己の(根源的な心や体の働きである)性や命を傷つける。そうしたことにもなる。そうであるから老子はこれを戒めて、「得ることの難しい宝物を得ようと必死になると、正しい行動がとれなくなる(得難きの貨は人をして行を妨げしむ)」としている。君子は、得ることの難しい宝物は、すべて自分が本来有してはいないものであり、それが災いの根源であることを知っている。そうであるから貪欲を排して、道徳を重んじ、不義の富貴にまったく価値を見ることはない。そうであるからどうして「得ることの難しい宝物」も、その正しい行為を妨げるようなことがあろうか。


〈奥義伝開〉「貨(たから)」は生きていく上で必要不可欠なものではない。そうしたものは求める必要がない。しかしどうして人々は「貨」を求めるのか。それは社会的な価値があるからに他ならない。しかし「社会的な価値」というものは、人々が作り出した「幻影」であるに過ぎない。芸能人やスポーツ選手のサインなども、そこに価値を見い出す人には千金の値打があるが、そうでない人にはただの紙切れである。自分にとって本当に必要でないものを求めるようになると、行為の基準が狂ってしまう。そうなると正しい行為が取れなくなる。そしてあるべき自然から外れた行為を続けるとその矛盾が災いや病気を招くことにもなる。


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