第一章 塩田剛三と金魚(12)

 第一 塩田剛三と金魚(12)

ただ「神道思想」とは何かということはその範囲や内容を示すことは難しい。それはある時は『古事記』に記された思想をもって語られ、あるいは国学者の唱えた復古神道や近代あたりの教派神道の教えをして理解されたりもしている。他には民俗信仰などが神道と解されることもある。『古事記』や『日本書紀』は本来が歴史書であって神道の教義書ではない。また復古神道や儒家神道などは特定の思想を背景として「神道説」を展開したものである。また大本教のような教派神道は「開祖」とされる人物の思想によっている。近代になって「神道」としてコンセンサスの得られたイメージが日本独自の精神世界を表すものと見なされるようになると、川面凡児に代表されるような「修養」が盛んに行われるようになった。こうした風潮を受けて植芝盛平も神道的な「修養」法を取り入れることになる。天の鳥舟(舟漕ぎ運動)や魂振などは川面の教えたことそのものである。

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